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IFA紹介シリーズ ―倉澤秀一しらかば投資相談株式会社― 「3代続けてお客様に。人生通してのお付き合いがIFAの醍醐味」

長野県伊那市のIFA(独立系金融アドバイザー)倉澤秀一氏は、自ら150人の顧客を抱えるとともに、長野県を拠点に全国ネットワークをめざす「しらかば投資相談株式会社(旧社名:株式会社長野投資相談)」の代表取締役です。

「IFAはお客様の背中を押し、逃げ場となる役割」「大きな組織の原理で動かされていては、本音でお客様と向かい合えない」と、エネルギーに溢れる言葉を次々と繰り出す倉澤氏は、地元では「倉澤を見れば、まだ大丈夫だと思える」と言われるほど、大きな挫折も糧にしてきました。

3代続くお客様もいるなど、地元から厚く信頼される倉澤氏。地域密着型のIFAとしての、仕事人生について伺いました。(取材:IFAオンライン編集部)

「疑問を感じて」地元の信用金庫を退職

――しらかば投資相談株式会社は、長野県伊那市に本社を構えています。もともと長野県のご出身ですか? 

倉澤氏:はい。高校までは地元、その後は東京の大学に進学しましたが、地元の長野に U ターンして就職したのです。長男でしたからね。

新卒で地元の信用金庫に入社したのですが、理由があって退職しました。証券業界に入ったのが29歳のときです。当時は金融機関を退職するというのは、何か問題があった人と見られがちだったんですよ(笑)。

――今では考えられない時流ですね。ちなみにどのような退職理由だったのでしょうか

倉澤氏:実績主義ではなくて年功序列、そうした古い体質に嫌気がさしたのです。ただ、かわいがってくれる人もいて、元上司が「これからは証券業がいい」と言って、証券業界への転職をすすめてくれました。1989年、バブルの絶頂期だったころです。

ちょうど、それから10年間は「株というのは損をするものだ」というくらい、日経平均が右肩下がりの時期でした。しかも準大手証券会社の子会社で通常業務に従事しながら、時間外に、お金の需要が多い人の相談を受けることが多くなったときで……。このことが、私が大きな失敗をしてしまったきっかけです。調子に乗っていたんでしょうね。

破産からの敗者復活、「証券仲介業」の先駆けに

――倉澤さんは語り口も穏やかですが、非常に過酷な経験をされたそうですね

倉澤氏:42歳、男性の本厄の年です。ファイナンスによって、もっと大きなお金が調達できるのではないかという依頼がありました。なんとかなるかなと思って進めていましたが、だんだん、なんともならなくなってきました。

また、ある会社の代表取締役を引き継いだところ、その会社がもともと30億円くらいの負債を抱えていたことが判明し、前の代表も姿を消してしまいました。まもなく倒産しましたが、私は保証人になっていたものですから、会社も個人もすべてパンクしてしまいました。

――そのころ、ご家族もいらっしゃったのでは?

倉澤氏: 3人の子どもがいるのですが、そのときに一番上の子が中学三年生。何もかも失った中で進学もさせなければならない状況でした。その窮地に陥っていたときに手を差し伸べてくれたのが、ある証券会社でした。

その会社は当時、親会社がアメリカにあって、アメリカの「敗者復活」という考え方が根付いていたのです。ちょうどアメリカ型のビジネスを持ち込もうとしていたところで、地方にいながら在宅型の契約社員のようなかたちで証券仲介業をやらないかと誘ってくれたのです。

日本では、証券仲介業が2004年に導入され、2007年に証券取引法が金融商品取引法に改正されたときに、「証券仲介業」は業務の範囲が拡大されて「金融商品仲介業」となっています。それよりも前の話です。

――法律ができる前から、証券仲介業を手掛けていたのですね

倉澤氏:ええ。最初は在宅型契約社員というかたちでしたけれどね。当時の業界には、興味深いことがありました。今では家庭のパソコンやスマートフォンでのオンライントレードが当たり前ですが、証券業界にもいろいろ試行錯誤があったのです。

コンビニエンスストアに、チケットなどを発券する機械がありますよね。あの機械を使ってコンビニでオンライントレードを行えるようにする、といったアイデアもあったんですよ。有資格の人員を全店舗にはとても配置できないので、とん挫したようですが。

「倉澤を見れば、まだ大丈夫だと思える」

――バブル、金融ビッグバン、ご自身の経験と、本が書けそうですね

倉澤氏:地元では、苦しいことがあったときに「倉澤を見てみろ」と言われているようですよ(笑)。調子に乗って引き受けた会社の経営破たんで何もかも失くしましたからね。金融業界で再びやり直すチャンスをもらえたことを本当に感謝しています。

しかしその後、その大手証券会社が金融商品仲介業務から撤退することになってしまったのです。撤退がやむを得ないことなのであれば、お客様にできるだけ不便をかけない方法を探さなければなりません。その結果、その証券会社の紹介もあってSBI証券と契約し業務を続けることになったのです。

私が開業している町の中には、以前からSBIマネープラザがありました。あとから参入するなんて申し訳ないと思いながらも、相談業務の考え方で撤退することになってしまった大手証券とSBI 証券が共通するものがあったので、気にかけつつ業務を続けました。ですから人口6万人の地元には、2軒のマネープラザがあります。

「IFA 冥利に尽きる」と思える瞬間

――パートナーとしてSBI 証券を選んだ理由は?

倉澤氏:投資について、透明性を高めたかったからです。お客様には画面を見て、納得して取引をしてほしいと思っていたからSBI証券を選びました。

――古くからのお客様もいるのでしょうか?

倉澤氏:先代は亡くなっていて、2代目は80代、3代目が50代というように、3代続くお客様もいます。高齢の方には、安否確認のような心境で電話を差し上げることもあります。

申し訳ないのですが、ここでちょっと自慢をさせてください。古くからのお客様の中には、すでに亡くなられた方もいます。お付き合いも長いので、ご家族に知られたくないことを私が知っている場合もあります。「自分の死後、あの人にお金を渡しておいてほしい」といった個人的な頼みごとをされることもあります。自分の死期を悟った人は、とてもしっかりしているんです。「あとは頼んだぞ」と言って、旅立っていかれます。

お葬式に行くと、残された奥さんやご兄弟から「倉澤さん、聞いています。お任せします」と言ってくださるのです。そこまで信頼してもらっていたんだ、というのが私の自慢でもあり、仕事の支えなんです。悲しい場面なのですが、うれしさもこみ上げてくる。IFA 冥利に尽きる、と感じる瞬間です。

地方のIFAは「何でも屋」。逃げ場としての存在に

――地方在住のIFAの強みはどんなところでしょうか?

倉澤氏:基本的に「何でも屋」。店舗は年中無休にしていますし、私の電話は24時間いつでもつながりますよ。この「必ずつながる安心」は、地元で商売をしている人から学びました。

株価がどうなるかなんて、誰にもわかりません。でも私に電話してきて「いや、わからん」という一言が聞きたい人もいる。投資は自己判断で自己責任ですが、自分の決定について「倉澤もそう言ったじゃないか」という逃げ場を残しておくことで、ほっとできる人もいるんです。お客様の背中を押し、逃げ場となる役割です。

「私に任せてください。うまく運用します」と下手にわかったようなことを言って、期待や希望が生まれると、お互いつらくなってしまいます。お金は余裕資金で、というのが投資の基本ですが、気持ちにも余裕がないと。

――どんなお客様が多いのでしょうか?

倉澤氏:社員が担当するお客様も含めて、うちは女性客が多いですよ。どの家庭でも一定の年齢になると、奥様が力を持つようです(笑)。

「食べるためにお金をふやす」とか「ふやして洋服を買いたい」ではなく、投資そのものが趣味で楽しいという、ちょっと遊び心がある方々ですね。「私は楽しいし、倉澤さんも手数料が入るんだからいいでしょう」という感じですね(笑)。

支店設立も歓迎。個性豊かな「一匹狼」たち

――社員の話が出ましたが、どんな方々ですか?

倉澤氏:非常に個性豊かですね。「大きな組織の原理で動かされていては、本音でお客様と向かい合えない」と信じている、組織に向かない人たちですね。もちろん、私もそう思われているでしょうね(笑)。

しらかば投資相談の報酬体系は、入社から数ヵ月はその人の状況に応じて固定給を払うことがありますが、基本は完全歩合制です。還元率は業界の中でもかなり高いほうだと思われるので、「これ以上、上げることは不可能」と、みんなわかっています。

年齢は、37歳から63歳まで。月15万円の稼ぎの人もいるし200万円を稼ぐ人もいる。8時半に出社してきて、東京証券取引所がクローズする15時には業務終了と自分で決めて、あとはプライベートを楽しんでいる60代の社員もいます。完全歩合制ですから、どんな働き方をしてもお互い干渉しない。そこがいいんです。

募集している社員はこの業界での経験があって、お客様を連れて来られる力量のある人です。資格としては、「証券外務員試験」2種か1種を持っていることです。

――若いころの倉澤さんのような、腕に覚えのある方々が集まってくるのでは?

倉澤氏:金融商品仲介業者に勤めていたけれど「上からの締め付けが厳しくなった」「仕事内容に干渉される」ことに息苦しさを感じて、という志望動機は多いですね。当局への提出書類など、個人で証券会社と契約する手続きは煩雑です。当社のような自由な社風の企業に所属するほうが合っている、という人もいるのでしょう。

一つの営業所に2人以上外務員が所属することが条件にはなりますが、日本全国で事務所を作ることも可能です。ですからUターン、Iターンしたい人も歓迎します。「自分のスタイルで仕事がしたい」人が集まってきてくれれば、それこそ日本全国で展開していけるのではないかと思います。

お客様を看取る覚悟で「あと50年仕事する」

――IFAとして働くみなさんにメッセージをお願いします

倉澤氏:楽しく仕事しましょうよ、と。個人的には、「働いた分だけ持って帰れる」というスタイルでの働き方を全国に広げていきたいですね。

そうそう、しらかば投資相談に入るには、もう一つ条件があるんですよ。それは「あと50年仕事すること」。IFAには、お客様への責任があります。途中で放り出さず、看取らせていただくくらいの覚悟が必要な仕事です。自由だからこそ、その覚悟がある人に集まってほしいですね。

しらかば投資相談株式会社
〒396-0010 長野県伊那市境1060ガーデンコートビル2F
TEL 0265-78-0130

代表取締役 倉澤 秀一

大学卒業後に地元・長野の信用金庫に入社。その後、1989年に29歳で証券業界へ。準大手証券会社の子会社にて、相談業務に携わる。42歳のとき、30億円近くの負債を抱えていた会社の保証人となっていたことから破産。窮地に陥っていたときに手を差し伸べてくれた証券会社のすすめで、現在のIFAにつながるような証券仲介業を始める。現在は地元長野で150人の顧客を抱えるIFAとして活躍すると同時に、個性豊かなスタッフを抱えるしらかば投資相談株式会社を経営。どん底を知っている倉澤氏の元にはその度量に憧れる社員が集まっている。

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